おしゃべりおばあちゃんとのAirbnb-リオデジャネイロ(4)

Airbnb

毎日いろんなことがおばあちゃんとの間に起きてネタが尽きない日々だったが、リオデジャネイロでのAirbnb生活も終わりが近づいてきた。

おしゃべり料を請求すべき?

滞在期間が残り1週間を切ったあたりから、毎日のようにおばあちゃんからいつコロンビアに戻るのか、今度リオデジャネイロに戻ってくるのはいつ?と尋ねられるようになった。

テレコミューティングは1カ月だけと決められていたので、残念ながら滞在を延長することはできない。リオデジャネイロは、もう自分にとっては故郷のような場所なので、機会があればいつでも戻ってこようと思うと返事をすると、迫りくるお別れにおばあちゃんは早くも寂しさを感じているようだった。

リオデジャネイロ滞在の終盤は、現地の友人たちと送別会と称して、出かけることが多くなり、Airbnbのアパートには文字通り、寝るだけに帰るような状態で、おばあちゃんとの過ごす時間が減っていった。

おばあちゃんとのネタのいくつかを失礼にあたらない範囲で友人たちと共有すると、ブラジル人の彼らでも、このおばあちゃんのキャラクターには度肝を抜かれていた。中には、そんなに話し相手になってあげているんだったら、おしゃべり料を請求するか、宿泊費の割引を交渉してみたらと真顔でアドバイスしてくれた友人もいた。

別れの日

どんなに楽しい時間でも、いつかは終わりが訪れる。1カ月のリオデジャネイでの滞在も、あっという間に過ぎ、時間の制約から再会を果たすことができなかった友人たちもいた。

コロンビアへ戻るフライトは深夜便だったので、出発日の土曜日丸々1日、最後のリオデジャネイロを楽しめるスケジュールだった。

荷造りの7割ほど前日までに完了させ、最終日は朝から友人とトレッキングに。夕方までに戻って、残りの荷造りをすれば時間的には問題ないだろうと考えていたら、予定がどんどんずれ込む。トレッキングは想定通り昼過ぎ位までに終わったものの、今日が最終日ということを聞きつけた友人から、最後のリオデジャネイロを楽しむためにビーチへ行こうと誘われる。

日が沈み、ビールでも飲むかという雰囲気になりそのままグダグダ。結局アパートに戻ったのは20時近くになっていた。予定では22時に出発なので、急いで残りの荷造りに励まねば。1本しかビールを飲んでいないのに、朝からトレッキングをした疲労のせいか、酔いのまわりが早く、荷造りのスピードがなかなかアップしない。

時間と格闘中におばちゃん登場。「今夜出発よね?なかなか帰ってこないし、荷物はまだまだ片付いていないから心配になった」と、おばあちゃん。最後の最後だったから友達と過ごしていたと返答し、荷造りに戻ろうとするも、おばちゃんも最後のおしゃべり機会を逃すまいと話が続く。

手を動かしながら、おばあちゃんの話にも耳を傾け、時折相槌や質問も加える。理想は、荷造りを早く終わらせ、出発までの残りの時間をリビングでおばちゃんと最後のおしゃべりを楽しむという目論見だったが、もはやそんな状況ではない。

行きはスーツケース1個だったが、帰りは友人宅に残していた荷物やブラジルでの買い出し品等々もあり、預入荷物が3個になることも覚悟していたが、予想に反して2個に収まり、荷造り完了。

まもなくUBERを呼び空港へ向かう。おばあちゃんともいよいよお別れの時だ。使い切れなかった調味料などを譲り、1カ月滞在させていただいたことにお礼。するとおばあちゃんは、「この家で快適に過ごすことができたなら、嬉しい。毎日、私がちょっとしゃべり過ぎた」と苦笑い。正直、ちょっとのレベルではないと思ったけど、いまとなってはすべていい思い出。また会えるといいねとハグをしてお別れ。

おばあちゃんからのコメントは“Deixou saudades”

若干、感情的になった別れから数日。早速、おばあちゃんからAirbnbのコメントのフィードバックが届いていたので、こちらの手続きも済ませる。

普段は、家主からのコメントはそれほど気にしないけど、今回ばかりはどんなことが書かれてあるのか、興味津々だった。おばあちゃんからのコメントには「Deixou saudades」と記されていた。

このsaudadeという言葉は、哀愁のような感情で、英語でいうmissに近いとされるが、ブラジル人に言わせると、saudadeの気持ちはmissなんかではとても表せないと何度も聞かされた。動詞deixarは残すという意味合いで使用されるので、ここではおばあちゃんのコメントは、滞在が終わり居なくなってしまって寂しいといったところだろうか。

単純に1日数時間もの話し相手が突如いなくなるわけだから寂しさを感じるのは当然かもしれないけど、それ以上に1カ月間一緒に生活したことで、同居人として受け入れてもらえたような気もした。

さらにおばあちゃんは、私の性格について「comunicativo」、コミュニケーションが取れると表現していた。一方的な聞き役に回らされていたけれど、一応コミュニケーションと認識してもらっていたのだろう。

長期滞在のAirbnb利用ということもあり、家主のおばあちゃんとも親密な関係になれた民泊体験だった。ポルトガル語を勉強するための留学などだったら、おばあちゃんのお話ももっとありがたく耳を傾けていれたかもしれない。旅行者を迎えることで、宿を提供するだけでなく話し相手を持てるという、民泊の醍醐味を実践しているおばちゃんとの出会いはこの先も記憶に残るだろう。(終)

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